アナログの可能性について

はい、ええこんばんは。 ATC 45 です。今日はですね。あのアナログの可能性ということについてお話をしていきたいと思います。で、あのなんでこんなお話をしようかということなんですけどもええと最近ですね。

ええと Netflix で見ていたドラマがありまして、海外のドラマなんですけれども、クイーンズギャンビットというものなんですけれどもこちらを見てて、あのーなんかアナログの可能性ってあるなってこと思ったのでお話ししていきたいと思います。

で、クイーンズギャンビットというですね。あのードラマなんですけども、こちらがえっとアメリカでアメリカの作品なんですけどもええと 2021 年のエミー賞のえー作品賞を取ったということでえーまあ有名な作品なんですけども、ちょっと遅ればせながらえー見てみたというようなえことでして、えっとー内容自体はあのクイーンズキャンビットという言葉自体自体がですね。

あのー、チェスですね。チェスが分かる方はあのわかると思うんですけど、僕はあの正直全然知らなかった状態で見てたんですけども、チェスのあの打ち始めの何てかの中で型としてクイーンズいやギャンビットという方があるみたいで、えっとその題名がついたものになります。

でええとまあらすじえーおゆうと 1人のあの天才的なえー女性のチェスプレイヤーがいてま小さい時からかなり、あのまあ天才的なえー何でしょうね。実力を持った粉ですけども、その子がどういうふうにそのチェス夫をして、その彼女の人生を生きていくのかみたいなお話です。

で。まあ、その中であのアナログの可能性みたいなところと、あのーどういう風にえーヒモズクかなんですけども、えっとまずえっと大きく 2 点なんか思ったことがあって、 1 つはあのえっとこのチェストいうゲーム自体が 8 × 8 のマスの中でええとちょっと駒の数っていうのが 8 角いるのが 1616 コマ鉄をそれぞれプレイヤーが持っていてええうん。

まあ将棋みたいなルールですよね。将棋とかえっとー。ちなみにあのえっとチェスとか将棋とかってことのま歴史についてちょっと調べたんですけどもええと元々の起源があのチャトランガっていうインドのこの同じようなそのボードゲームを期限としているらしくってま、それがいつ始まったものなのかっていうのはまあ書籍あるみたいなんですけども、期限紀元前 200 年ぐらい前からあると言われている説もあれば、もっとあとだっていう説もあるみたいで確定はしてないみたいです。

なんかええとしょ書籍によると昔こう戦争が好きで好きでしょうがない。ええとインドの王がいて、その人にこう戦争なるべくやめてほしい為に、そのなんかこう下のま部下みたいな人がそのボードゲームの中で戦争をもした。

えっとゲームみたいなものを作って、そのをがの戦争の気持ちはそのそらしたみたいなことがあのー言われてるみたいなんですけど、もうちょっとそれも沙羅からはないみたいなことがちなみにあるみたいです。であ、もうちょっと話戻るとえっと 8 × 8 か 8 っていう 64 マスの中で 16 コマの手持ちのコマを用いて相手と戦うわけですけど、なんかそこにあのすごい。

まあ今今のこうゲームとかゲームっていうこうどれだけリアリティが出せるかとか。 VR とかでいろんなこう世界観が描ける。無限にこう音楽と絵を合わせて描けるというものをどんどん開発されてる中で、すごいシンプルな。

今、あの中で言えばこうアナログなものの、そのゲームの中でこうすごい世界観というかもうなんえ。なんとリアルか分からないぐらいの手の数。そしてま同時に相手が何をしてくるか分からなくて、それに自分がどう対応してくかというすごい。

あのー、まあスポーツのようなえっとゲームだなっていう風に思ってで、あのこのさっきのクイーン付きはビットというええとドラマの中。でもその主人公が言っていたのがええとまこのゲームをやってる時にすごくなんだろうな。

安全性を確保できる心の意味なんですけど、もみたいなこと言っていて、それはその普段。そのまあその主人公は結構その気持ちがええと病んでしまうこととかが多い。あのー、まあそのバックグラウンドというか、そのええとまあ気持ちもそうだし、ええとそういう環境に育ってきてええとあるんだけども、そのチェストがやってる時だけはその 64 マスという中に自分の身を置いて、その中でそのコマを使って自由に生きるということがすごくこう。

安心するみたいなことを言ってて、ああなんか、なるほどなという風に思った。逆にその限られた空間の中だからこそ、その何でしょうね。自由さを感じるみたいなことがあるのかなっていう風に思いました。

で、まあ、それが 1 つですね。で、もう 1 つ思ったのがあの最後ですね。結構これがあの 1960 年ぐらいの話なんですけれども、えっとソ連とええと。当時のアメリカま冷戦の中でえっとこのチェスの大会とかが行われてるというような状況で。

まあソ連ってすごい。あのーソビエントですよねがすごくまあチェスが盛んな国ですとで、最後あのーソビエトにアメリカからそのま女の子が行ってチェスをするっていう話なんですけどもで、その時にあのま 1960 年代なんでえっとやっぱこうテレビとかってそんなにない?

一般的に普及してない中ででもすごい人気なんですよね。あのチェスがでええとそのチェストの動向にすごくこう。国民が気になっていてで、それをあのみんなにこう報道する時にあ、ラジオを使ってあの報道してるんですよね。

で、あのー次の手はこれです」みたいなこ次の手はこれです。っていうのはそのえちょっと呼び方分からないですけど、例えばええとますの? マスメのから 1 の A から 1 の B になんとかっていう駒を例えばないとで困る動かしたとか、そういうことをあの説明して、それをあのー国民は聞きながらなんかこう頭の中で想像するなり、その実際にチェスのあのチェスの板ですね。

いいと思ってこ – コマは置いてる人がその実際にその動かしてみたりしながら、ま人によってはそれを絵で描いたりしてあの何て言うんですかね。楽しんでるんですよね。で、それでなんかこうそれを見てた時思い出したのがなんか自分がこう。

小さかった。小学校の時とかにあのプロ野球のま中日ドラゴン絶対にはすごい応援してて、あの父親の影響でその時にあの野球中継とかって夜の 9 時ぐらいになんか終わっちゃうんですよね。

あのテレビがでもすごい気になるじゃないですか。で、その後テレビが終わったからラジオに移行するみたいなけど、感じでラジオはあの終わらないんですよね。あのであのラジオで例えば 9 時 9 時 1 分ぐらいから聞き始めて、あのラチオってあのあれって今思う?

とってか今もラジオのそのスポーツ中継ってあるんですけど、なんか投げた打った? 走った? えっと大きい。あのいや打球が大きい。大きい入ったみたいな。すごく単純な言葉を言うけども、それを想像してあの見てる人って聞いてる人か聞いてる人ってすごい。

興奮したなってことを思い出したですね。で、父親とかと一緒にあの勝ったらその応援してるチームが勝ったらすごい喜んだりとかしてたら、っていう風にまあそうですね。だから今から 30 年 40 年ぐらい前のことを思い出しながらええとそんな風にあのそのテレビを見せたというようなことでで、要はその体験とかその楽しみのそのエンターテイメントっていうんですかね。

なんかこう楽しみのための材料って別に? そのすごい技術を問われるとかっていうわけでもないのかなっていう風に思ったっていうことで、このクイーンズキャンビットっていう映画映画じゃなくてドラマ自体はすごくなんか技術的にも工夫がこなされていて、カメラワークとかますごく何だろうな。

工夫されてるなと思ったし、なんか美しいなと思ったし、脚本とかもすごく考えられてて素晴らしい作品だなとは思うし、あのこういう風にこうま地雷と共にこれがこう家にいて見れてしまう。

Netflix のすごさとかまそういうのも思う。一方で同時にその作品から逆に感じたのはそのアナログであの楽しんでた。自分のそのラジオの思い出だったりとか。あとそのまずっと何百年も前からある。

その何千年かもしれない。なぜね。前かもしれない。そのチェストという限られた。中でのボードゲームみたいなものが、その人の人生をまあある意味狂わせるところもあるし、その人の人生そのものになってたりもするし、もう楽しくもあるし、悲しくもあるっていうか。

負けたらなんでしょうね。死ぬほど悔しいみたいなこともあったりとかでなんか何でしょう? それでこうアナログであればあるほど、この人の想像性の中であのー補われるなんでしょうね。楽しみだったりとかがあるのかな?

みたいなことを思ったということで、あのタイトルのアナログの可能性というようなことをについて話してみたという回です。はいってことで、あの今日はこれぐらいで終わっていきたいと思います。

また、あの明日、明後日ええと土曜日、日曜日で取っていきたいと思います。では、お休みなさい。

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