はい、ええ、おはようございます。 ATC 45 です。今日はですね。えっと自分が納得できるかどうかが結局大事というようなお話をしていきたいと思います。えっとですね。昨日、あのアナログの可能性についてというようなえっとラジオを取りまして、ええとその前に見ていた Netflix の番組ですね。
えっとクイーンズギャンビットというものを見て、えっとアナログの良さってあるとあるね。っていうようなお話をしたんですけども、ちょっとあのその後にあのアナログってなんだろう。みたいなことを少し調べ調べてみてたんですね。
で、えっと。僕はそのアナログって言った時に、あのまよくアナログ。僕はアナログ人間ですから」とかいうような感じでおー何でしょう? 機械にあんま頼らずに手帳とかで過ごしたりとかいう、ちょっと古い。あのものを使うっていうか。
なんか電子機器にあんま強くないえー。ときにアナログですから、みたいな風に言うのがあのえーあると思うんですけども、そ – そんな意味であののアナログの可能性についてっていうえー言葉アナロウって言葉は何回も言ってるんですけどもえーを言っていたとでちょっと布団持った時にアナログってことかってそれで合ってるんだっけ?ってことを調べた時にあの結論ちょっと違ったんですけれども、あの。
まあアナログとデジタルということをマリオホ調べてた時にちょっとこの言葉提起をあのあまりこう。話の趣旨と関係ないんですけども、説明も調べてないよ。自分の理解しておくとアナログっていうのはえっと昔のこうラジオえーのこう。
電波みたいなものえーですね。で、電波をそのまま届けるというか、あのーことをアナログと言ったりとかあとですね。あの時計でえっと手巻きの時計、自動巻きの時計って言うんですかね。自動巻きとか手巻きとかそのえっとーなんですね。
秒針がすごくこう。カチッカチではなくて、あのリニアニっていうんですかね。こうすごく滑らかにこう秒針が積んでいくような秒針とか風疹とかがですね。えー物のっていうものはあの何て言うんでしょう?
こうカクカクッというんだよ。なくて、波の波形のようにええといきなり何かが変わるんではなくて、少しずつこう。変わっていく波のようなえっと波形を伝えていくものをアナログと言っていて、まデジタルっていうのは逆に言うと、そのええとその滑らかではなくて、どこかこう 0-0 と 1 という 0。1 でどのノンノン、色々計算式を組んでいって、そのアナログ的な情報の中から少しえっと情報を省いていきながらえっとーデジタルで表していくことができる。
あのー何でしょうね。その方式のことを言っていて、ええとそのアナログに対してデジタルっていうのはそのえっとデータとして保存するときにあの圧縮できたりとかそういうことで。すごくコンパクトにできたりするので、とま届け安かったりとかあのえっとまあラジオとかだとその波のままその話は配信とかを送る時に気功の気候と言うか、ま天気の影響とかを受けて、えっと受信が悪かったりとかってことがあることを避けられるのが、デジタルデータのええと長所だということで、ええとどんどんどんどん?
今デジタルに切り替わっていってええと。まあテレビとかもそうですよね。えっと地デジ放送に変わりました。みたいなことは結構まあ結構前ですけど、あったりとかいう風にどのどんどん? そういう場面でデジタル化されてるってことは事実なんだけども、あのー、ちょっと昨日使っていたアナログの可能性についてという言葉の意味は違うのかなっていうことをちょっとここであの違うというか、あの、そういう意味で使ってなかったっていうことをちょっとお話ししておきたいと思いますんで、あの結局それで何なのかってことなんですけれども。
あのま、そもそも何を言いたかったさあということをちょっとえっと今思い経験を思い出せなくなっちゃったんですけどもええとこのタイトルをですね。えーと何にしたかと言うと、まあ自分そうですね。自分があのま消化できるというか、あのことなのかなっていうが、まあ大事なのかなっていうことで、ええと要はデジタルによってま情報って。
もう本当にとことんとことん、あのー広がって行ってるなという風に思うし、あの人間のマシンカーに伴って、まあいろんな情報自分が消化できないほどのま情報量だったりとかあのーなんでしょうね。いろんなものがあの自分に振りかかってくるというような。
ええ、状態にどんどんなってるとで昔だったらその 1 つの例えば 2 本だったら流しまし。茂雄のあのま好きな人も好きじゃない人いると思うんですけども流します。茂雄さんのこう打った? 投げ打った。
走ったええとホームランになったみたいこと、ラジオで聞いてそれでこう。一喜一憂みんなでしてたところから、あの今はこう個人が自分の携帯の中で好きな情報を見ていきたいとか、まこのようにこう。
自分も後輩審査になったりしてってことはもう配信の数っていうのが、どんどんどんどん世界で同時に増えていてま消化しきれないほどの量というものがあると情報量があるというような中で、じゃあこれってあのこのこれとその自分の満足感とか幸せの関係って何にどうなんだろう?
みたいなことを考えてた時に、ま結論はその自分がまあどんな情報があったりとか、あの生き方っていうことが可能性が広がっていったとしても、最終的にこう。自分が納得してええと人生を追われるみたいなところまにつけるのかなという。
あのすごくあのロンリーの飛躍があるかもしれないんですけども、そんなこと思ったということです。で、なんか例えばあのそれってどういうことかって言った時に、その情報を一生懸命一生懸命自分のキャパを広げていって。
あのなんか今 1 しか聞けない情報を。明日は 2 にして、あの明後日は 3 にしてってことで、あのま最終的に 100 聞けて 100 あのアウトプットの質が上がったみたいな量と質を上げてったみたいなことを、あのまあしていくことにもちろん価値あると思うし、僕もそういうことをしていきたいと思ったりすることもあるんですけども。
結局それと客観的に見た時にあのー結局その人がえっとま納得して、まあすごく楽しかったなとかって思えばいいんじゃないかな。みたいなことを思ったということです。であの例えばここに 1 匹のアリさんがいて、そのありさんがあの何かこう餌を運んでいたとします。
とで、その餌を運んでるアリさんがええと、その一生で運ぶ餌の量っていうのが、もしかしたらスッとそのなんだろう。外のどっかの地点を 10 往復できる。アリさんと 20 往復できる。アリさんとあのま例えば、服歴は遺産がいた時になんかどのアリさんが一番こういいのかとか幸せなのかとかって。
まあ、もちろん働いたれようとしては 100 働いた遺産が一番いいと思うんですけども、その結局でもそれってなんか納得となのかなっていう風に思って結局 100 運んだ。アリさんは 101 あの運んだアリさんよりもあの幸せじゃないか?って言ったら絶対そんなことはなくて、結局そのアリさんそれぞれがあのーま死んじゃう時にその納得を持ってあ。
僕はその僕なのか私なんかわかんないんですけどえ、このアリ人生をあの 1 に切ったみたいな感じであのよかったな。楽しかったなって感じで、自分で納得できるってことがあの一番大事なのかなってことを思いました。
えっと大分あの初めのあのですね。アナログとかデジタルとか話とえ飛んだんですけども要はあのアナログというえーところから、まあデジタルになってこうどんどんどんどん情報があのーもう倍速っていうかまあなんて言うんですかね?
なと二乗とか参上みたいな感じで、どんどん増えていくえー。中で結局それも自分で処理できる。なんかこう情報量だったりとかキャパシティみたいなもので限られてるとは思うんですね。で、その限られてる中で、あの自分があの努力して、もちろんもちろんこうえーなんか自分を広げてったり成長させたりという考え方はあるんだけども、まあそれは客観的に見た時には何でしょう。
結局自分の納得度だったりするので、まあそこのバランスと言うか、あのーある種の何でしょうね。まあ、秋まあポジティブな意味での諦めというか、あの納得かみたいなものを持ちながら生きてくのがいいのかな?
みたいなことを思ったということです。はい、ということで、今日はこれぐらいで終わっていきたいと思います。ではまたえー。次回までお元気で。